「絵のない絵本」その3
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その2 第八夜〜第十五夜








第八夜

どんよりした雲が夜空をおおい、お月さまはまったく姿をみせませんでした。
わたしは小さな部屋に一人たちつくし、前よりずっと寂しい想いにとらわれ、お月さまが姿をあらわすはずの夜空をながめていました。
わたしの想いははるか遠く、毎晩わたしにすてきなお話をして、絵をみせてくれる親友のところまで至っていました。そうです、お月さまはなんでも知っているんです。
ノアの洪水のときも世界を照らし、わたしに微笑みかけるようにノアの箱船にも微笑みかけました。そして旧世界からとびだした新世界に慰めと約束をもたらしたのです。イスラエルの民がバビロン河のほとりで涙にくれていたとき、お月さまは柳の木々に鳴らない竪琴がかけられているのを悲しそうに見ていました。
ロミオがバルコニーにのぼり、天使が天国へいくように真実の愛がはばたくとき、まあるいお月さまは半分ヒノキに姿をかくしながら明るく照らし、見ていたのです。
セントヘレナの有能で偉大な人物が、さびしげな岩の上から広い大海をみつめていたのも目にしていました。そのときにも彼の魂の中には偉大なる考えがひしめいていたのですが。あぁ、お月さまの語るお話のなんてすばらしいこと。

人生とはお月さまにとってはお話です。今晩お月さまの姿はみえないでしょう。お月さま、今晩、わたしはあなたが訪問してくれる思い出の絵はかけません。そして、夢みごこちで雲の方をみつめると、夜空があかるくなりました。ひと筋の光がさし、月からの光がわたしを照らし出します。ただお月さまはすぐ姿をけし、黒い雲がとおりすぎました。しかしそれでもちゃんとしたあいさつです。お月さまからわたしへの友情のこもった「こんばんは」のあいさつです。 

第九夜
空気はふたたび澄みわたっていました。幾夜がすぎ、月は上弦になっていました。ふたたびお月さまはわたしにスケッチの輪郭を語ってくれました。お月さまの話をきいてください。

「私は北極鳥と泳いでいる鯨を追って、グリーンランドの東端まできていました。荒涼とした氷に覆われた岩々と暗い雲が谷にたちこめています。そこには小さなやなぎとヒロハヘビノボラズが緑に装い、花をつけたセンソウが甘い香りを漂わせていました。
私の光はぼんやりとしていて、茎からちぎれて何週間も流れにただよったすいれんのように私の顔は青白くなっていました。王冠の形をしたオーロラが夜空にはげしく燃えています。オーロラの輪は大きく、そのまわりでは光線が夜空全体に何本もの火柱のように放たれていました。オーロラは、緑から赤へときらきら色を変えながらきらめていました。
氷におおわれた場所に住んでいる原住民たちはダンスとお祭りのために集まってきています。ただかれらはそういったすばらしい見ものには慣れっこで、わざわざ目をやったりはしません。「死人の魂は、セイウチの頭でボール遊びをさせておけばいい」という迷信を信じていたのです。かれらのすべての関心は歌とダンスに向けられていました。輪の中心では、一人のグリーンランド人が毛皮の上着をぬぎすて、小さな縦笛をもち立っていました。かれはアザラシ狩りの歌を演奏しました。まわりのコーラスがそれに「エイ、エイ、ヤ」と合いの手をいれています。白い毛皮をきて輪になっておどっているさまは、まるで北極熊がダンスをしているかのようでした」

「そして裁判が行われました。争っていたグリーンランドの人たちが前に進み出て、被害を受けたものが前に出て相手の非を縦笛の音楽にあわせてダンスしながら即興で歌い、物笑いの種にするわけです。相手もするどい皮肉でもってそれに答え、観衆はわらいながら評決を下します。
岩々が動き、氷河がきしみ、大量の氷と雪がくずれおち、こなごなに砕けました。すばらしいグリーンランドの夏の夜でした。

100歩ほど向こうに革のテントがあり、一人の病人が横たわっていました。まだ温かい血には生命がかよっていましたが、この男は死ぬ運命なのでしょうか? 男は自分でもそれを感じていましたし、男のまわりをとりかこんでいたものも全員それを知っていました。だから男の妻はすでに体の周りに毛皮の覆いを縫いつけていました。死んだ後、死体にさわらなくてもすむようにです。
妻は尋ねました。「岩にうめてほしいの、それとも固い雪の中に? その場所をあんたのカヤックと矢でかざりたてるよ。祈祷師がその上でおどってくれるだろうよ。それとも海に沈めたほうがいいかい?」
「海に沈めてくれ」男はささやき、悲しげな笑みをうかべうなずきました。「あぁ、海は夏には心地いいテントだものね」妻も口にしました。「何千というアザラシがそこでたわむれてるし、セイウチも足元でよこたわり、安全ですてきな漁ができるだろうよ」
泣き叫ぶ子供たちが、死体を海へと運んでいくために窓の穴から覆いをはずしました。大波がうねる海に、そこは生きているときは食べ物をもたらし、今死んでからは休息の地となるわけです。男の墓は浮かんでいて常に形を変える氷山で、その上でアザラシが眠り、コアシウミツバメがきらきら光るその天辺の上を飛んでいくのです



第十夜

「私はひとりのおばあさんを知っていました」お月さまは話しだします。
「彼女は冬になるといつも黄色のサテンを羽織っていました。それはいつも流行のもので、それが彼女が唯一流行についていってると思っているものでした。夏になると、同じむぎわらぼうしをかぶります。そして私は、いつも同じ青灰色のドレスを着ていたと本当に信じています」

「おばあさんは、通りの向こう側の昔からの親友のところまで行く以外は外出しませんでした。ここ数年は、親友が死んでしまったので、それさえしません。ひとりぼっちですが、おばあさんはいつも窓際で忙しそうにしていました。窓際ではフェルトの上に、夏は小さな花々が飾り立てられ、冬はカラシナが育てられています。
ここ数ヶ月は、おばあさんを窓際でみかけることもありませんでした。ただ彼女は生きていますし、私にはそれがわかっています。なぜなら私はまだ彼女が『長い旅路』につくのを見ていないからです。
『長い旅路』とは、おばあさんが親友とよく話していたことでした。『そう、そう』おばあさんはよく言っていたものです。『死ぬときには、一生の中で一番長い旅をするのよ。わが家の墓はここから六マイルもはなれていて、わたしはそこに運ばれ、家族や親戚といっしょに眠ることになるわけ』

昨晩、一台の馬車がその家の前に停まりました。ひつぎが運び出されてきます。私にはおばあさんが亡くなったことがわかりました。ひつぎの周りにはわらがしきつめられ、馬車は走り出しました。そこには、ここ一年は一度も外にでたことがなかった物言わぬおばあさんが眠っていました。
馬車は楽しい遠足にでもいくみたいに軽やかに街の門をくぐりぬけました。街道ではペースはさらに上がりました。御者はときどきあたりを不安そうにみていました。私が思うに、黄色いサテンの上着をきたおばあさんがひつぎの上に座ってるのでも想像したんでしょう。御者はびくびくしていたので、考えなしに馬たちをいそがせました。手綱をあんまりつよく持っていたので、かわいそうな馬たちはあぶくをだしている始末です。
馬たちはまだ若くて、元気いっぱいでした。一匹の野うさぎが街道にでてきて、馬たちを驚かせ、そして馬たちは猛烈な勢いではしりだしました。
落ち着いたおばあさんは、何年も何年もきまった場所をしずかに行き来していたのに、死んだ今になって街道の木や石でガタガタさわがしくしているわけです。

わらをかぶったひつぎが、馬車から転げ落ち、街道に置き去りになりました。にもかかわらず、馬たち、御者、馬車はものすごいスピードで走り去っていきました。ひばりが野原からとびたち、さえずりの声をあげました。ひつぎのところに立ち寄って、朝をつげているみたいです。ひつぎの上にとまり、覆い被さっているわらを取り除こうとでもするようにつついています。ひばりは再びとびたち、楽しげにさえずりました。そして私は朝焼けの真っ赤な雲の後ろに姿を隠しました」


第十一夜

「さて、ポンペイの絵をお見せしましょう」お月さまは語りました。
「私は郊外の墓場通りとよばれているところにいました。そこにはすばらしい記念碑がたっていて、ずいぶん昔には陽気な若者たちが頭にバラの冠をのせレイ姉妹とおどったところです。今は死の沈黙があたりをおおっています。ドイツ人の傭兵たちがナポリで軍役につき、カード遊びやサイコロをふりながらそこの警備をしていました。
一人の見張りにつきそわれて、観光客の一団が山々の向こうから町にやってきました。月の光にてらしだされて、墓からよみがえった町を見に来たのです。私は、溶岩にすっかりおおわれた道のわだちを照らし出し、ドアの表札やまだそこらにのこっている看板を照らし出しました。観光客はせまい中庭で貝殻におおわれた噴水台を目にしましたが、水も噴出していなければ、ブロンズの犬が門のところで番をしている豪華にかざられた部屋から歌声が響いてくることもありませんでした」

「そこは死の都でした。ただベスビオ山だけがいつまでも轟きを響かせていました。その一つ一つが人にとっては、噴火とよばれているものなのです。
私たちは雪のように真っ白な大理石でできたビーナスの神殿に行き、その広い階段の前には高い祭壇があり、円柱のあいだで生き生きとしている柳が風にそよいでいました。
空気は澄みわたり青く、黒いベスビオ山が常に松の幹のような火柱を噴出しながら背景にそびえていました。その上には夜の帳の中に薄雲がひろがっていて、まるで松の樹冠のようでした。ただ血のように真っ赤にうかびあがっていたのですが。

団体の中には一人の女性の歌い手がいました。本物のすばらしい歌い手です。私はヨーロッパの大都市で彼女が絶賛の嵐を受けたのも見ています。悲劇の劇場までやってきたとき、観光客は円形劇場の段のところに腰をおろしました。劇場のほんの一角に、数世紀前とおなじように観客がもどってきたのです。
舞台は昔のままで、両脇には壁があり、背景には2つのアーチがかかっていました。観客はアーチのむこうに昔に舞台を飾ったのと同じ風景をみることができたのでしょうか? それはまさしく自然のままの風景で、つまり、ソレントとアマルフィの町のあいだの山々がみてとれるわけです。

歌い手はたわむれに古代の舞台に立ち、歌いました。その場所が歌う気にさせ、その歌声は私にアラブの野生の馬を思わせました。鼻息あらく、たてがみをなびかせ、一目散に駆ける馬を。歌はかろやかであるとともに、聞きごたえがありました。
すぐに私はゴルゴタの十字架の下でなげきかなしむ母親のことを思いました。劇場は拍手喝采と歓喜の渦につつまれています。
『すばらしい、たぐいまれな才能』 聞いていた人はみなそう誉めそやしました。五分後、舞台には人っ子一人いません。一団は去っていき、物音一つ聞こえないでしょう? すべては終わったのです。ただ廃墟は姿をかえず残っています。何世紀たってもこのままでしょう。すばらしい歌に対する一時の拍手喝采や歓喜の渦のことを知るものが一人もいなくなっても、廃墟はこのままです。全てが忘れさられ、去っていっても、廃墟はこのままでしょう。そして私にとってもこの一時は、ほんの過去の夢にすぎないのです」 

第十二夜
お月さまは話をします「私はある編集者の家の窓からのぞき込んでいました。ドイツのどこかで、家にはりっぱな家具、多くの本があり、新聞が散乱していました。わかい男が何人かおり、編集者は机の側に立っていました。いずれも若い作家が書いたニ冊のささやかな本が批評されています。
『これは私に送ってきたものだ』と編集者はコメントしました。『まだ読んでいないが、あなたがたはどう思う?』
『えぇ』一人が答えました、彼自身も詩人でしたが『充分いいできだと思いますよ、確かに少し自由奔放なところあるけど、作者もまだ若いことだし。確かにもっと改良する余地はあるとおもいますが。考え方もしっかりしてます、まぁ、どちらかといえばありふれたものといっていいかもしれませんが。でもいったい何を期待するっていうんでしょう? いつも新しいものが手に入るわけじゃありません。もちろん私もこの作者が偉大な詩人になるとは思いません。でもまぁ、誉めてやってもいいんじゃないですか。なんといっても読めるし、東洋学者としてはなかなかだし、分別もありますよ。私の『家庭生活に対する感想』にけっこういい批評をしてくれましたから。この若者を寛大に扱ってやりましょうよ」

「でもあれはまったくのやっつけ仕事ですよ」他の男が意見をのべた。「月並みほど詩にとって最悪なことはありませんし、この作品はまったく月並みそのものといっていい」

「かわいそうな若者だ」また別の男が口をはさみました「かれの叔母さんはかれのことを誇りに思ってるんだがね。そう編集長、叔母さんっていうのは、こないだのあなたの翻訳にあれほどたくさんの予約をかきあつめてくれた人ですよ」

「あぁ、あのすばらしい女性か。この本に手短な批評をしよう。疑いなき才能、歓迎すべき贈り物、詩の庭にさいた一輪の花、上品にまとまっている、など。ではもう一冊の本はどうだろう、作者はどうやら僕にも買わせる気らしい。誉め言葉は耳にするね。作者は、間違いなく天才だがね。さぁ、どう思う?」

「えぇ、全世界がそう宣言しているかのようですね」詩人は答えた。「ただちょっと雑な感じもしますがね。この本の句点のつけ方なんてとくに、とっぴょうしもないものですよ」

「この男はすこしこきおろして、ちょっとばかし怒らした方がいいんですよ。さもなきゃ、うぬぼれすぎますから」

「でもそれはあまりにフェアじゃないなぁ」別の男が異議をとなえます。「ちいさな欠点をあれこれ言うのはやめて、目の前にあるまさに本物の豊潤な才能を楽しもうじゃありませんか。かれは群をぬいてる」

「そうでもないだろう。本物の天才なら、きびしい批判にもたえうるもんだよ。褒め称える人は大勢いるんだから、思い上がらせないようにしないと」

「まぎれもない才能」編集者は書きました。「ただときおりいい加減なところがあり、25ページには間違った詩がみうけられ、そこでは2箇所ほど韻が誤っている。もっと古典をまなぶことを薦めたい、など」

「私はその場を去りました」お月さまはつづけました。「そしてあの叔母の家の窓をのぞきこみました。そこには賞賛された詩人、平凡な方、が座っていました。招かれた客は全員かれに尊敬の念をいだき、かれはとても幸福そうでした」

「私はもう一人の詩人、並外れた方、も探し出しました。かれもパトロンの家にいて、そこには大勢の人が集まっていました。そこでも平凡な詩人の本が論じられていました」

「『もちろんあなたの本も読みましょう』パトロンは言いました。『でも正直にいわせてもらえば、わたしが自分の意見を隠せるような男じゃないことはわかってるだろうし、この本にはたいして期待してないんだ。その理由は君があまりにとっぴょうしもなく、空想的だからだよ。でも人間としては君はものすごく尊敬に値する人物であることは認めざるをえないが』」

「一人の少女がすみの方に腰掛け、本の次の部分を読んでいました」

「天才と栄光は塵にまみれど
  平凡な才能はみとめられる。
これは古き、古い話なれど
  同じことは日々繰り返される」 


第十三夜
お月さまは口を開きました「森の小道の脇に二軒の農家がありました。ドアは背が低いもので、窓のいくつかは高いところについていますが、他の窓は低いところについています。
セイヨウサンザシとヒロハヘビノボラズが低い窓の周りに生い茂っていました。二軒の家の屋根にはコケがむしていて、黄色い花とバンダイソウが育っていました。庭で栽培されているのはキャベツとじゃかいもだけですが、生垣の向こうには柳の木が一本ありました。柳の木の下には少女が一人座りこみ、その少女の目は二軒の家のあいだにある古い樫の木をみつめています」

「樫の木の幹はすっかりやつれていて、上の方は切られ、コウノトリがそこに巣をつくっていました。コウノトリは巣にいて、くちばしをガタガタいわせています。少年が一人やってきて、少女の脇に立ちました。二人は兄と妹でした」

「何をみてるんだい?」兄がたずねます。
「コウノトリを見てるの」妹はそう答えると「となりの人はわたしに、今日コウノトリが小さな弟か妹を連れてきてくれるっていったの。見てましょうよ」と続けました。
「コウノトリはそんなものは運んでこないぞ」兄は胸をはっていいます「おまえは信じてるかもしれないけどね。おとなりさんは僕にも同じことをいったんだ。でも笑いながらだったし。それで僕が『神にかけて?』と聞いたら、答えられなかったんだ。だから僕はコウノトリの話はホントじゃないってわかったよ。子供を喜ばせるためにいってるんだ」
「じゃあいったい赤ちゃんはどこからくるの?」妹は聞きました。
「天国から天使が樫の木の下に連れて来るんだよ。でもだれも天使を見ることはできないから、いつ連れてきてくれるのかは分からないんだ」
「そのとき柳の木の枝がざわめきました。子供たちはお互いの手をにぎりしめ、みつめあいました。まちがいなく天使が子供をつれてきたのです。二人はたがいの手をとり、そのとき二軒の家のうちの一軒のドアが開き、おとなりさんが顔をだしました」
「二人ともおいで、コウノトリが運んできたものをみてごらん。弟よ」
「子供たちは真剣な顔でお互いにうなずきました。というのは、二人とも赤んぼうがきたのがはっきりわかっていたからです」

第十四夜
「私はリューネブルグの荒野の上を照らしていました」とお月さまは語りかけました。
「道端には一軒きりの小屋が建っていて、そのまわりにはまばらな茂みが生えていました。ナイチンゲールが一匹道に迷って、鳴き声をひびきわたらせていました。私が耳にしたのは、お別れの歌でした」
「朝焼けがかすかに赤く空をそめ、私はハンブルグに向かう小作農の移民の一団を目にしました。ハンブルグからアメリカにわたり、そこで一旗あげようというのでしょう。母親たちは赤んぼうを背負い、子供たちは母親の脇をよろよろと歩き、かわいそうな飢えた馬が家族のわずかな財産を乗せた馬車を引いていました。
冷たい風がふきすさび、少女は母親にぴったり寄り添いました。母親は私の欠けていく様子をみながら、故郷での困窮を思い、支払えなかったほどの重税について口にしました。一団の全員が同じことを考えていました。だから夜が明け行く様子は、みんなにとってのメッセージのように思えたことでしょう。
みんなの頭上にかがやくだろう幸運のメッセージが。みんなは死にゆくナイチンゲールの鳴き声を耳にしました。それは偽の予言というわけではなく、幸運の前触れでした。風が吹きすさび、ナイチンゲールの歌っている内容はみんなには分からなかったのです。
『海を越えていく。おまえはすべてのものを抱え、長い旅路をやってきた。そうして貧しく無力なものがカナンの地に至るのだ。おまえは自分自身も妻も子供も売らなければならない。でもおまえの苦悩は長くはない。十分に楽しい別離のかげには、死の女神がかくれている。女神のお迎えの口づけは、あなたの血を沸き立たせる。旅立て、旅立つんだ、荒れ果てた海を越えて』 そしてよく耳をすませた一行は、幸運を約束してくれるようなナイチンゲールの鳴き声を楽しみました。

明るい雲を通して夜明けの光が射し込んできます。地元の人たちが荒野をよこぎって教会へといそいでいます。白い髪飾りをつけ、黒いガウンを羽織った女性は、教会の絵からぬけだしてきた幽霊のように見えました。
辺りはみわたすかぎりまっ平らで、枯れた茶色の荒野でおおわれ、白い砂の丘にはところどころ黒焦げのような黒い場所がありました。さきほどの女性は賛美歌の本をもち、教会に入っていきました。あぁ、祈りましょう、荒れた海をこえて死に場所をさがしさまようものたちのために祈りましょう」

第十五夜
「私はある道化役(訳注1 Pulcinella)を知っていました」お月さまは、わたしにそう話しかけてきました。
「観客はかれをみると大騒ぎで拍手喝さいでした。一挙手一投足がコミカルで、芝居小屋を笑いの渦へとひきこむのです。ただ実はそれは演じているものでなく、生来のものだったのですが。道化役が少年のころ他の子供たちと遊んでいたときから、すでに彼は笑いもの(Punch)でした。生まれたときから自然とそうなっていて、背中と胸にそれぞれこぶがあったのです。
ただ道化役の内面、つまり心は、その正反対で豊かでした。情感が豊かなことと当意即妙な知性では彼にかなうものはいませんでした。劇場は道化役にとっては理想的な世界で、もし彼が均整のとれた見目のいい姿をしていたら、どんな舞台でも比べものにならないぐらいの悲劇俳優となっていたかもしれません。
勇敢で、偉大なところが道化役の魂には満ちあふれていました。だから彼は道化役にならざるをえませんでした。とても悲しそうで深い物思いにふけるところが、するどい容貌のコミカルなところを強調し、観客をますます笑わせるのです。観客は道化役が大のお気に入りでした。
男役(Harlequin)の相手のかわいらしい女役(Columbine)はとくに道化にやさしく、心から道化を好きでした。ただ彼女は男役と結婚することを選んでいました。もしこの美女と野獣がじっさいにいっしょになったとしたら、どれほど物笑いの種になったことでしょう」

「道化役が非常に気分が悪いときには、女役だけが唯一道化役のことを心から笑わせるか、少なくとも微笑ませることができました。最初は女役も気分が落ち込みますが、だんだん落ち着き、最後には気分も晴れやかになり幸せになるのです。
『あなたがどうなのか、私にはよくわかるわ』彼女は言いました。『そう、そうよ。あなたは恋してるのよ』そうすると道化役は笑わざるをえません。『僕が恋だって』道化役はさけびます。『そうだとしたらこっけいな見ものだよ。観客たちはどれほどわめきたてることか!』『確かにあなたは恋におちているわ』彼女は続け、コミカルな調子でこう付け加えました『そしてあなたの恋する相手は私なのね』おわかりでしょう。こんなことは思ってもみないからこそ口にできるのです。そしてじっさい道化役は大笑いして宙にとびはね、憂鬱もふきとんでしまうというわけです」
「ただ彼女の口にしたことは本当のことでした。道化役は彼女を愛していたのです。すばらしい高貴な芸術を愛するように崇拝していたといってもいいくらいです。
女役の結婚式では道化役はまねかれた客のあいだで一番ほがらかでした。しかし一人ぼっちの夜になると道化役は泣きました。もし観客が道化役の涙にゆがんだ顔を見たなら、それみたことかと大騒ぎしたことでしょう」

「それから数日後、女役は死にました。お葬式の日は男役も舞台には立たなくてよいといわれました。というのも悲嘆にくれた男やもめですから。観客がかわいらしい女役と生き生きとした男役がいないのをひどくさみしく思わないように、演出家は一段と楽しい舞台をつくらなければなりません。それは道化役がいつもよりもっとばか騒ぎして、やりすぎなほどやらなくてはいけないということです。道化役は心に悲しみをひめたまま、踊りはね回りました。そして観客は大声でわめきました『ブラボー、いいぞ!』道化役はじっさい幕前に呼び出され、誰とも比べられないくらいすごいと評されました」

「ただ昨晩そのいまわしき小男は一人きりで町をでて、寂しい墓地へと向かいました。女役の墓の花輪もすでにかれ、道化役はそこに腰をおろしました。そのようすは絵描きにはいい題材になったことでしょう。あごを両手でささえ、目は私の方をみていましたが、道化役はグロテスクな銅像のようにみえました。墓場の笑いもの、奇妙で奇抜ですらある! もし観客がこのお気に入りの道化をみたなら、いつものように叫んだことでしょう「ブラボー、道化役。ブラボー、いいぞ!」
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訳注1 Pulcinella のナポリ方言Polecenella から英語の Punchinello となる。さらにpunch「ずんぐりした人」となり、人形芝居の主人公Punchから英語の漫画入り週刊誌Punchとなる。これにちなんで Wirgman が横浜で発行したJapan Punchから西洋流風刺漫画を日本語で「ポンチ絵」と呼ぶようになった。
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