「絵のない絵本」その4
第二十四夜〜三十二夜



「絵のない絵本」
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その3 第十六夜〜第二十三夜








第十六夜

これもお月さまがわたしに語ったお話です。「私は士官になりたての若者が、はじめてきりっとした制服を着用したところをみたことがあります。ウェディングドレスに身をつつんだ若い花嫁をみたこともありますし、王女のようなその女性は豪華絢爛な服をきてとても幸せそうでした。
ただ私は今晩に目にした四才の少女ほどの幸せは見たことがありません。少女は青い新しいドレスとピンクの新しい帽子を買ってもらって、ちょうどそれを身につけた姿はすばらしく、だれもがろうそくを取りに走りました。
というのも私のひかりが部屋の窓から照らすだけでは十分明るいとはいえなかったからです。もっと灯りが必要だったわけです。
少女は人形のようにまっすぐ立ち、両腕はドレスから苦しそうなほどまっすぐ出て、指はせいいっぱい開かれていました。そしてなんてことでしょう、彼女の目から、全身から、幸福があふれだしていたのです!
 『明日おまえはこの新しい服でおでかけするんだよ』お母さんがいうと、少女は帽子を見上げ、服を見下ろすとはれやかな笑顔をみせました。
『おかあさん』少女はこうふんして言いました『こんなすてきな新しい服をきたわたしを見て、子犬はどうおもうかしら?』」






第十七夜

「ポンペイのお話をしたことがありましたね」お月さまはそう言います。

「あれは、たくさんの人が生活しているさまざまな都市の風景の中にさらされた都市の死骸でした。
でも私はもっと奇妙な風景を見たことがあります。それは死骸ではありませんが、都市の幽霊です。
噴きだした噴水が大理石の噴水台にふりそそぐときはいつも、私は宙に漂う都市の話をしてもらっているように思えたものです。そう、噴き出す水がその都市の話をしていて、打ち寄せる波はその都市の名声を歌っているのでしょう。
海の表面にはよく霧がでますが、それこそが都市の未亡人のベールなのです。海の花婿は死んでいて、花婿の宮殿と都市は霊廟となっています。あなたはこの都市を知っていますか? 

その都市の通りでは馬車の車輪や馬のひずめの音を耳にすることは決してありません。その都市の通りには魚が泳いでいて、黒いゴンドラが幽霊のように緑色の水面をすべっていきます。あなたに宮殿をお見せしましょう」お月さまは続けました。
「都市の中でもっとも広い場所で、まるでおとぎの町にきたように思うことでしょう。
敷石がしきつめられた広い道には草がはびこっています。朝の薄明かりの中では、人に慣れている何千羽の鳩が一つぽつんと建っている塔の周りを羽ばたいています。
あなたのいるところは、三方が歩道でとりかこまれて、歩道では物静かなトルコ人が長いパイプをふかしていました。整った顔のギリシャ人が柱にもたれかかり、過ぎ去った権力の記念のかかげられたトロフィーと高いマストをみつめています。

旗は喪にふくしているスカーフのようにたれさがっていました。そこでは少女が一人休んでいました。
水でいっぱいになった重いバケツを運んでいましたが、休んでいるときもてんびん棒は肩に乗せたままで少女は勝利のマストにもたれかかっていました。さらに向こうのあなたの前方にあるのは、おとぎ話の宮殿ではなく教会です。
金ぱくの丸い屋根ときらめく球が私の光でかがやきました。その上の方にある栄誉ある青銅の馬は、まるでおとぎ話の青銅の馬のようにいろいろなところを旅してきました。あちらこちらを行き来し、ふたたびここへと戻ってきたのです

壁や窓の色とりどりの壮麗さにお気づきになりましたか? このすばらしい寺院の装飾はまるで天才がきまぐれな子供の言うがままにしたみたいです。柱の上の翼のついたライオンが目に入るでしょうか? まだ金色にかがやいていますが、その翼はくくられています。
ライオンは死んでいます、そう海の王が死んでいるのですから。大きなホールには人気がなく、昔ははなやかな絵画がかざられていましたが、今はなにもかかっていない壁がじかにみえます。
乞食がアーケードの下でねています。昔にはこの道は、高貴な身分のものしか足を踏み入れることはできなかったものですが。深い井戸から、そしてたぶん『ため息の橋』のそばの牢獄から、哀しみの声が聞こえてきます。にぎやかなゴンドラでタンバリンの音が聞こえ、金の指輪がベニスの総督が乗っている船から海の女王アドリアへと投げ込まれたときのことです。
アドリアよ、その身を霧でつつみたまえ。未亡人のベールでもってその体をつつみたまえ、そして哀しみの喪服で花婿の霊廟をつつみなさい。そう、大理石でできた幽霊の都市ベニスを」






第十八夜

「私は大劇場を見下ろしていました」お月さまは話しました。

「劇場は大混雑で、というのも新人俳優が今晩初舞台をふむからでした。私の光が壁の小さな窓から射し込み、その窓に白粉をぬった額がおしつけられているのが目にとまりました。それが今晩の注目の俳優でした。

騎士らしいあごひげが縮れてカールされていましたが、目には涙がいっぱいです。というのも、ブーイングをうけて舞台をおりてきたからです。まぁ、それももっともなのですが。才能のないかわいそうな男。
ただ才能のない男は、芸術の世界では認められません。その男は深い感受性をもち、芸術を心のそこから愛していましたが、芸術はかれには微笑んでくれなかったのです。舞台のベルがなりひびき、『主役がさっそうと登場』とト書きにはかかれていました。男はあざけりを受けた観衆の前へと登場しなければなりません。
舞台が終わると、私はマントに身をつつみ、階段をとぼとぼと降りる男の姿を目にしました。それが今晩、敗北した騎士の姿でした。
大道具たちはお互いにこそこそ噂話をしています。私はかわいそうな男の家まで跡をつけていきました。
首をつるのはみすぼらしい死に方だ、ただ毒薬は手に入らない。私はその二つのことが男の頭にうずまいていたのを知っています。窓に男の青白い顔が映され、両目は半ば閉じられていましたが、死んだときの見た目を気にしているのを私は目にしました。人は不幸のどん底にあっても、感情的なものです。男は死を、自殺のことを考えていました。私には男がひどく涙を流していたので、自己憐憫に陥っているのがわかりました。人が涙をだして泣くときには、自殺はしないものです」

「それから一年がすぎ、ふたたび演劇が上演されていました。ただ今回は小劇場で、旅回りの一座です。ふたたび私は、ほお紅をさしちぢれたあごひげのよく見知った顔を目にしました。男は私をみあげ、微笑みました。その一分前には観客にブーイングをうけて舞台を降りてきたのにです。それも、うらぶれた劇場で、ひどいお客からブーイングを受けたのに。
今晩、古い霊柩車が一台、町の門から外へとでていきました。自殺者です、そうあの白粉をつけた主役の男でした。いるのは霊柩車の運転手だけで、私の光を除いてはだれも付き添うものはありませんでした。教会の墓地の片隅に自殺者の死骸はうめられました。すぐにイラクサが墓をみえなくするほど覆いかぶさり、墓地の掃除をする男が、他の墓に茂っている下草や雑草をその墓のところに捨てることでしょう」






第十九夜

「私はローマから来ました」.お月さまは語りをはじめました。

「街の中央の七つの丘の一つに、宮殿の廃墟がありました。壁の裂け目からはいちじくの木が野生しておりその大きな灰色がかった緑の葉がむきだしの壁をおおっていました。がれきをかき分け歩いていくと、ロバが緑の月桂樹をふみしめ、はびこっているアザミに大喜びしていました。

この場所からかつてはローマのワシが飛び立ち、『来た、見た、勝った』と伝えたものですが、いま私たちの行くところには質素で小さな家、二つの柱にはさまれた粘土でできた家があるだけです。
その家のかしいだ窓には、お葬式の花輪のようにつたが生い茂っていました。そこには老婦人と孫娘が住み、今ではシーザーの宮殿を治め、見物人に過去の栄光の遺跡をみせているわけです。華麗な王座の間は、今はそっけない壁が立っているだけです。
一本の黒いイトスギがかつては王座があったところにその影をなげかけています。砂ぼこりが何フィートも壊れた歩道の上につもり、宮殿の娘である少女が夕べの鐘がなりひびくとき、よくそこに腰かけています。
近くにあるドアの鍵穴を少女は塔の窓とよんでいます。そこからはローマ半景が一望でき、聖ペテロ教会のすばらしい丸屋根もみることができます」
「今晩もいつものように、静寂があたりを支配していました。私の光を全身にうけ、少女があらわれました。
頭の上には、水がたっぷり入った古い型の陶器の入れ物を運んでいます。はだしで、上着のすそもみじかく袖もほつれていました。少女の小さな丸い肩、黒い瞳、黒くつやのある髪に私は口づけしました。少女は、くずれた大理石のかけらや倒れた柱の頭でできた急な階段をのぼっていきました。きれいな色のトカゲがびっくりして、少女の足元を走っていきましたが、少女はまったく驚きません。すでに片手をあげて、ドアの呼び鈴を押すところでした。
宮殿の呼び鈴のひもにはうさぎの足がむすびつけられています。少女はたちどまりました、何を思っていたのでしょうか?
 たぶん教会のすぐ下にある美しい神の子供たちが、金銀に着飾っているのを思っていたのでしょう。教会の銀の燭台が明るくかがやき、そこでは少女の友達が少女も歌える賛美歌を歌っていました。私には少女が何を思っていたのかはわかりません。
さて、少女はふたたび歩き出し、つまづきました。陶器の容器が頭からすべりおち、大理石の階段でわれました。
少女は泣き出しました。その美しい宮殿の少女は、とるにたらない壊れた容器のことで涙をながしています。足ははだしで、泣きながらたちすくんで、呼び鈴のひもをひくこともしませんでした。宮殿の呼び鈴のひもを」

 ローマのワシ(シーザーのこと)





第二十夜

お月さまが最後に姿をみせてから二週間以上もたちましたが、いまお月さまはふたたび姿をあらわしています。まんまるで光り輝き、雲の上をゆっくりと動いています。お月さまがわたしに語りかけることに耳を傾けましょう。

「フェザンの街から私は隊商のあとをついていきました。砂漠に入るところの塩の平原で、そこはまるで凍りついた湖のように輝いていて、わずかばかりの流砂が表面をおおっていましたが、隊列は一旦停止しました。
ベルトに水筒をぶらさげ、発酵させていないパンをいれた小さな袋を頭にのせた一団のリーダーが、棒で砂の上に四角をかき、コーランからの数言をその中にかきいれました。それから隊商の一行が、その清められた場所をとおりすぎていったのです。
目と姿かたちで東部の出身だとわかる一人の若い商人が、鼻をならしている白い馬にのって、物思いにふけりながら歩を進めていました。たぶん若くて色白の妻のことでも考えているのでしょう。なにせ二日前のことですから、そう毛皮と豪奢なショールをまとったらくだが、美しい花嫁を運んで街の城壁のまわりをめぐり、そのあいだ太鼓やシンバルがなりひびき、女性たちは歌い、祝砲がなりひびき、花婿がなんといっても一番多くらくだの周りで祝砲をあげたのは。そして今、花婿は隊商といっしょに砂漠を旅しています」

「私は幾晩も隊列のあとをついていきました。隊列は発育がとまった椰子の木々にかこまれた水源で一休みしていました。
一行は倒れたらくだの胸にナイフをつきさし、肉を火であぶりました。私の光はもえたつような砂を冷やし、広大な砂漠の海の孤島である黒い岩々をてらしだしました。一行は道なき道をゆくときでも敵の部族に遭うこともありませんでしたし、砂嵐にも遭わなければ、隊商を死に至らしめる砂の竜巻にも出くわしませんでした。
故郷では、美しい妻が夫と父親のために祈りをささげています『死んでしまったのかしら?』妻は三日月の私にたずねました。『死んでしまったのかしら?』満月の私にそうなげきました。
一行は砂漠をとおりすぎ、今晩は背の高い椰子の木々の下で休んでいます。つるが長い羽をはばたかせ、その周りを飛んでいますし、ペリカンがミモザの木の枝にとまり隊商をみています。
うっそうとしげった草木が象の足でふみつぶされ、倒れています。黒人の一団が内陸にある市場からもどってきました。女性たちはその黒い髪に銅のボタンをつけ、青藍にそめた服でかざりたて、荷物をたくさん積んだ雄牛たちを追っています。そして雄牛たちの背では、はだかの黒い子供たちがまどろんでいます。一人の黒人が自分で買った子供のライオンをつれています。
一団は隊商に近づいていきます。若い商人は物思いにふけり微動だにせず、黒人の地で美しい妻のことを考え、砂漠の白いユリを夢みて腰をおろしていました。商人が頭をあげると、」ちょうどそのとき雲がお月さまをさえぎり、わたしはその晩はそれ以上、お月さまから話をきくことはできませんでした。

 ●フェザン(北アフリカの街)




第二十一夜

「私は、幼い女の子が泣いているのを目にしました」お月さまは話をはじめました。
「女の子は世の中の悪を嘆いていたのです。贈り物として美しいお人形をもらったのですが、なんとすばらしくきれいで繊細なお人形さんだったことでしょう。世の中の悲哀を背負うために生まれてきたようには思えません。でも女の子の兄弟がとんでもないいたずら坊やたちで、お人形を高い木の枝のところに置いて逃げてしまったのです」
「女の子はお人形のところまでは手がとどきませんし、助けて下ろしてあげることも無理です。
それが女の子が泣いている理由でした。お人形も泣いているに違いありません、というのも青々とした枝の合間から両手を伸ばしていたからで、とても悲しそうにみえました。そう、これが女の子がよく耳にする人生の災難ってものでしょう。あぁ、かわいそうなお人形。

あたりはすでにだんだん暗くなってきました、すぐにでも夜になってしまうことでしょう。
お人形は枝の上で一晩中すごさなきゃならないのでしょうか? だめ、幼い女の子にはそんなことは許せません。『わたしもここにいる』そうはいってみたものの、みるみる不安な気持ちがわきおこるのを感じないわけにはいきませんでした。
大きな冠の形をした帽子をかぶった小さな妖精が、しげみに隠れているのがはっきり見えたようにも思えます。おまけに、道のむこうではひょろひょろとしたお化けがゆらゆらしているようにも。だんだん近づいてきて、両手をお人形の座っている木の方にのばしたりするのです。あざけりわらって、お人形の方を指さしたりしています。
えぇ、なんて女の子は怖かったことでしょう『でもなんにも悪いことしてないもの』女の子は思いました。
『だからどんな悪いやつだってなにもしないわ。わたし、なにか悪いことしてなかったわよねぇ』そうして考えてみると、『あら、わたしかわいそうなあひるが足に赤いぼろきれをつけているのを笑っちゃったわ。あんまりおかしく足をひきずっていたんですもの。思わずわらっちゃったの。でも動物を笑うなんていけないことだわ』
お人形を見上げると、こうたずねました『あなたもあのあひるを笑ったでしょう?』えぇ、お人形もうなずいたようでした」





第二十二夜


「私はチロルを見下ろしていました」これがお月さまが言ったことです。
「私のひかりが黒い松の長い影を岩々の上になげかけました。私は、子供のキリストをつれている聖クリストファーの絵が家々のかべに描かれているのをみました。
姿は大きく、地面から屋根までとどくくらいありました。絵の中では、聖フロリアンは燃えている家に水をかけてけしていました。キリストは路傍の十字架で血を流しています。
今の時代の人たちには、これは古い絵ですが、わたしはそれらが出来るときから観ているわけです、一軒一軒できていくのを。

向こうの山のがけの上に、修道尼の修道院が一軒、ツバメの巣のように建っていました。尼僧が二人、鐘をならす塔にいました、二人ともまだ若く、二人の視線は山を越え町のほうへと流れていきました。一台の旅馬車が眼下を通り過ぎていきます。
御者がつのぶえを響き渡らせ、その刹那二人は悲しみにみちた目で馬車を追いました。
とくに若い尼僧の両目には涙が光っています。つのぶえの音はだんだん小さくなり、修道院の鐘がそのひびきを打ち消しました」





第二十三夜

これがお月さまがわたしに話してくれたことです。

「数年前、ここコペンハーゲンで私はみすぼらしい小さな部屋の窓から中をのぞきこんでいました。
両親は眠りについていましたが、小さな息子は眠っていません。ベットの側の綿のカーテンがうごき、子供の顔がのぞきました。最初その子が大きな時計を見ているのかと思いました。
赤と緑にはでに彩られた時計です。上にはカッコーが乗っていますし、下にはとても重い錘がぶら下がっています。そして金属製の光沢のある丸い振り子が左右にゆれ、『チクタク』と時をきざんでいました。でも子供がみていたのは時計ではなく、ちょうどその下にあるお母さんの紡ぎ車でした。

男の子はそれが大のお気に入りだったのです。でもさわる勇気はありませんでした。なんせちょっとでも触れようとしたら、手を叩かれるのですから。何時間ものあいだお母さんが糸を紡いでいると、男の子もそのそばで一緒にしずかに座って、糸がつむがれ、車が回るのをみているのでした。
男の子はすわっていてもいろんなことを考えていました。えぇ、自分でも糸を紡ぐことができたらとか! 両親は寝ていました。男の子は両親をみて、そして紡ぎ車をみました。小さなはだしの足がベットから顔をのぞかせました。そしてもう一つの足も、それから二本の白い足がみえました。立ち上がり、もう一回両親がまだ寝ているかあたりを見回しました。えぇ寝ています。それからしずかにしずかに歩をすすめ、丈のみじかい寝巻きのままで、紡ぎ車のところまでやってきました。
糸が紡ぎ車からでてきて、紡ぎ車は勢いよくまわりました。私は男の子の金髪の髪と青い目にくちづけをしました。それはまるで絵のような光景でした」

「そのとき母親が目をさましました。カーテンがゆれ、彼女はそこをみました。地の精やなにかそういったお化けでもみたのかと思ったのです。『おぉ、神様』母親はさけび、父親も驚いて目をさましました。目を眠そうにこすって、元気いっぱいの小さな坊やを目にしました。『どうしたんだ、ベルテルじゃないか』。

そして私の目はその部屋から離れました。というのも私にはみるべきものがたくさんあるわけですから。
そしてバチカンの半分あまりを目にしたとき、そこでは大理石の神々があがめられていました。私の光がラオコーンの一団をてらしたとき、その石像はためいきをもらしたかのようでした。わたしはミューズの唇にかるく口づけをしました。石像たちは今にも動き出しそうでした。
しかし私の光がいちばん長くとどまっていたのは巨大な神々のナイルの一団のところでした。スフィンクスにもたれかかり、物思いにふけり、瞑想しているかのように横たわっていました。その姿はまるですぎさった月日に想いをはせているかのようです。小さな愛らしい神々がたわむれ、ワニたちもそこで遊んでいました。豊穣の角笛の中には、両腕をくんだほんとうに小さな愛らしい神が一人すわっていました。まじめに荘厳な川の神をみていたのです。その姿は、紡ぎ車をまわしていたあの少年に生き写しでした。その小さな大理石の姿は、チャーミングでまるで生きてるかのようでした。それなのに石から神が飛び出したときから、時の歯車は千回以上もまわっているのです。あの小さな部屋の男の子が紡ぎ車をまわすのと同じだけ、時の歯車も音をたてたのです。それも時がのちと同じようなこの石像を再びつくりあげるまで」

「こういったことから何年も後のことです」お月さまは続けました「昨晩、私はデンマークの東岸の湾の上から見下ろしていました。
みごとな森、高い木々、赤い壁の古い騎士の城、池の白鳥、背景には果樹園のあいだに教会のある小さな町。多くの舟、舟に乗っている人達はみなたいまつを持っていて、静かな水面をすべっていきました。しかしこうした火は魚を捕まえるためのものではありません。なぜなら全てはお祭りのようでしたから。
音楽がなりひびき、歌がきこえ、そうした船の一つに一人の男がすくっと立ち上がっていました。全員が彼に敬意をはらっていました。背の高いたくましい男で、外套に身を包んでいます。青い目をして長い白い髪をなびかせていました。私はこの男を知っています。バチカンやナイルの一団のこと、そして古き大理石の神々を思い浮かべました。小さなベルテルが寝巻きをきて、紡ぎ車の側にすわっていたさっぱりとした小さな部屋を思い浮かべました。時の歯車がまわって、新しい神々が石から飛び出してきました。
舟からは声があがります『ばんざい、ベルテル・トルヴァルセン、ばんざい』」

註・・●ベルテル・トルヴァルセン・・デンマークの新古典主義の代表的な彫刻家。ローマで活躍。
          1770-1844


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