「絵のない絵本」
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その4 第二十四夜〜第三十二夜








第二十四夜


「フランクフルトの絵を見せてあげましょう」とお月さま。
「私は一つの建物に特に注意をひきつけられました。それはゲーテの生まれた家でも、古い議会でもありませんが、その格子窓からは皇帝が王位についたときに人々に与えられる焼かれた雄牛の角がみてとれました。そうではなく、そこは個人の家でした。外見は質素で、緑に塗られていて、ジュー通りにたっています。そこはロスチャイルドの家でした」

「開いた扉から家の中をみると、階段のところが明るく照らされていました。
召使たちは大きな銀の燭台にろうそくを立て、そこに立って、老婦人の前で低く頭をたれていました。その老婦人は、籠で階下にはこばれるところでした。この家の主人は帽子をぬいでそこに立っており、老婦人の手をとりうやうやしく口づけしました。老婦人は母親だったのです。
母親は親しげに主人と召使たちにうなずくと、召使たちは暗くせまい通りへと運び出し、小さな家へ運び込みました。そこが彼女の住居でした。そこが子供たちが生まれた場所であり、ここから一家の富が生まれたのです。もし老婦人がこのうらぶれた通りと小さな家を見捨てたとしたら、富もまた彼女の子供たちを見捨てたことでしょう。それが彼女の固い信念でした」

お月さまはそれ以上何も口にしませんでした。お月さまの今晩の訪問はごくみじかいものでした。でもわたしはあの狭いうらぶれた通りの老婦人に思いをはせました。
老婦人がたった一言でもいえば、テームズ川の川辺に素敵な家をたてることもできたでしょう。またナポリ湾にすてきな別荘を建てる事もできたでしょう。
「もし私がこのみすぼらしい家を見捨てたら、そう、私の息子たちの富が最初に花咲いたこの家を見捨てたら、富は息子たちを見捨てるだろう!」それは迷信に過ぎません。でもそういった類の迷信は、お話を知っていてこの絵を見たものにとっては、理解するためにはたった二言あれば十分です。そう「一人の母親」と。





第二十五夜

「昨晩の黎明(れいめい)のことでした」これはお月さまがわたしに言ったことです。
「大都市でしたが、まだどの煙突からも煙はでていません。私がみていたのは煙突そのものでした。

突然そのうちの一つから小さな頭が姿をのぞかせました。それから体が半分、両腕を煙突のへりのところにもたれかからせています。『やった、やった』と声がします。それは煙突掃除の子供でした。

うまれてはじめて煙突にもぐりこんで、てっぺんから頭をのぞかせたわけです。『やった、やった』えぇ、確かに暗く狭い煙突にもぐりこむのはいままで体験したことのない出来事でした。
ふきぬける風は新鮮で、緑の森まで都市全体をみわたすことができました。ちょうど太陽がのぼってきます。朝日がその子の満面をてらします。顔はとてもかわいらしい具合にすすけてましたが、なんとほこらしげだったことでしょう」
「まち全部がぼくのことをみてるぞ」その子はさけび、「お月さまも、お日さまもだ。やった、やった」ほこらしさのあまり、ほうきをふりあげました。






第二十六夜


「昨晩、私は中国のある町を見下ろしていました」お月さまは話しはじめます。

「私の光は道をつくっているむきだしの塀をてらしていました。ところどころには門がみてとれました。
でもその門には鍵がかかっています。というのは、中国人は外の世界にはまったく注意を払っていないからでしょう。
家の塀のうしろにある窓には、木製のよろい戸がきちんと閉められています。ただお寺の窓をとおしてかすかな光がもれだしていました。私は中をのぞきこみました。そして古風で趣がある内装を目にしました。床から天井に至るまで、まばゆいほどの色とあふれんばかりの金ぱくで絵がえがかれており、絵はこの世での神の行ないをうつしていました。
あらゆる隙間には仏像がかざられ、ただそれらもいろとりどりの幕や旗でほとんど見えないくらいでした。
それぞれの神像の前には(すべてすずでつくられたものでしたが)、小さな祭壇があり、聖水に花と炎のゆらめくろうそくがありました。とりわけ最後には最高の神、仏陀が黄色のシルクを身にまとっています。黄色は中国では聖なる色なのです。
祭壇の下には一人の人間、若い僧がすわっていました。そのほほには赤みがさし、頭をたれています。かわいそうなソーホン。たぶん高い塀のむこうの小さな花壇で働いている夢でもみているのでしょう。そういった仕事のほうが、お寺でろうそくの火をみているより彼には合っているのでしょうか? それとも饗宴に座して、出されるもののたびに銀の紙で口をぬぐいたいとでもいうのでしょうか? それとももし口にだしたら、天上界の神が死をもって罰するほど彼の罪は大きいのでしょうか?
 彼の想いは海賊の船にのって空高く舞い上がったのでしょうか、そう遠くはなれた海賊の故郷のイギリスまで? いいえ、彼の想いはそこまで至っていません。それなのに彼の想いは十分罪深いものでした。若い心に浮かんだその想いは罪深く、とくにお寺で、仏陀や他の神聖な神々の前ではそうなのです」

「私は彼の想いがどこにあったのかを知っています。町のはるかはなれた外れに、タイルでおおわれた平らな床があり、そこには花が描かれたすてきな花瓶がありました。そしていたずらな目をして、ふっくらとした唇で、小さな足の美しいプーが座っていました。
靴がきついのも彼女を苦しめていましたが、その心はもっと苦しんでいました。彼女がその優雅でまるみをおびた腕をもちあげると、繻子(しゅす)織りの着物が音をたてました。彼女の前には、金魚鉢にはいった四匹の金魚がいます。
彼女は金魚鉢を細い漆塗りの棒で、注意深くゆっくりゆっくりかきまぜました。というのも、彼女も想いにふけっていたからです。
ひょっとして彼女もこうした金魚たちが金で着飾ってどんな風かとか、鉢の中で平和で穏やかにくらしているとか、えさをちゃんともらってるかとか、もし自由になったらどれほど幸せになるだろうかと考えていたのでしょうか? 
えぇ、美しきプーにはよくわかっていました。彼女の想いも自分の家を遠く離れ、寺院へとさまよっていたのです。ただ寺院の聖なるもののためではありません。かわいそうなプー、そしてかわいそうなソーホン」
「この世での二人の想いはめぐり会いましたが、私の冷たい光が天使の剣のようにその想いのあいだにあったのです」





第二十七夜

「ここちよい夜でした」お月さまはそう話をしました。
「水はすみきった大気のように透明で、そこを私はすべっていき、水面から深いところでは奇妙な植物が、その長い触手を私の方へまるで森の巨大な木のようにのばしていました。
魚たちがそのてっぺんをあちこち泳いでいます。空たかく白鳥の群れがとんでいました。そのうちの一羽が疲れきって、だんだん落ちて行きます。
目は軽やかな仲間たちを追っているのですが、その姿はだんだん遠くになっていきます。つばさを精一杯広げ、ゆっくりと白鳥は水面まで落ちて行きました。その姿はまるでしゃぼん玉がしずまりかえった空気の中を落ちて行くかのようでした。
とうとう白鳥の頭は羽のあいだにうもれ、しずまりかえった湖の蓮の白い花のように、白鳥はしずかによこたわりました。そこにゆるやかな風がふき、しずまりかえった水面にさざなみが立ちました。さざなみは大きな波のなかでただよう雲のように光りました。
そして白鳥は頭をあげ、その胸と背中のまわりで水が青い炎のようにしぶきをあげました。
朝焼けが雲を赤くそめています。白鳥はすくっと姿勢をただし、朝日にむかって飛んでいきます。仲間たちが飛んで行った透明に近い青い色をした海岸の方へ。
ただ一羽、胸にあこがれをいだき飛んで行きます。青くうねる大海の上を一羽さびしく飛んで行きます」






第二十八夜


「スウェーデンのようすをお話しましょう」とお月さまははじめました。

「暗い松林から、ストックセンの憂鬱な土手の近くに、古いレタ修道院がありました。
私の光は格子窓から埋葬室へとさしこみました。そこには王たちが大きな石の棺のなかでしずかに眠りについていました。
壁にはそれぞれのお墓の上に、この世での偉大さを表す紋章、王族の冠がついていました。ただそれは木で作られ、金めっきされたもので、壁に打ちつけられた木の掛けくぎにぶらさげられているものでした。虫たちが金めっきされた木をかじっており、クモが冠から地面までまるで半旗のように巣をはり、死の悲しみのようにもろくはかないようすでした。
なんと静かな眠りでしょう。そのようすをありありと思い浮かべることができます。かれらの唇にうかんだ不敵な笑み、喜びや悲しみをはっきりありありと示していました。

蒸気船が湖を魔法のかたつむりのようにわたるとき、旅行者が修道院にやってきて、埋葬室を訪れます。王たちの名をたずね、死者の忘れられた名前を耳にするのです。
虫食いのある王冠をみて微笑み、もしたまたま敬虔ぶかく思慮のある人なら、その笑みにどこか物悲しいようすが見られることでしょう。
眠れよ、死者たち。月が見守り、夜の月がおまえたちの静かな王国に、松林の上を越えて光をなげかけると」





第二十九夜


「本街道の近くに」お月さまは物語をはじめました。
「一軒の宿があり、その向かいには大きな馬車置き場がありました。そのわらぶき屋根はちょうどふきなおされているところでした。
私は小屋の枠組みのあいだから顔をのぞかせ、屋根裏部屋からその下のわびしい場所をながめました。
梁では七面鳥が眠っており、からのかいば桶には鞍がおかれていました。小屋のまんなかには旅行馬車が一台とまっていました。その馬車の持ち主は中にいて、ぐっすり眠りについており、馬たちには水が与えられていました。
御者は体をおもいっきりのばし、私が思うにはついさきほどの旅程の半分で気持ちよくうつらうつらとしていたに違いありません。
召使の部屋のドアは開けっぱなしで、ベッドは何度もひっくりかえったかのようで、ろうそくは床に立っており、ずいぶん燃えていました。
小屋を風がふきぬけ、夜分をすぎて夜明けが近くなっていました。地面におかれた木のベッドでは音楽の巡業の一家が眠りについていました。両親はボトルにのこっていたきついお酒の夢をみているようでした。小さな青白い顔をした娘も夢をみていました。というのも彼女の目は涙にぬれていたからです。頭のところにはハープがあり、足元では犬がだらんと寝転がっていました」





第三十夜

「それは小さな地方都市でのことでした」お月さまはそう口火をきりました。

「確かに昨年のことですが、とくに昨年ということに関係あるわけじゃありません。私はそれをはっきりと目にしました。
今日新聞でそのことを読んだのですが、半分も物事は明らかになっていません。小さな宿屋のバーに、熊使いが腰を下ろして夕食をとっていました。熊は外で木のくいにつながれています。かわいそうな熊のブルーイン。何の害も与えないのに、まぁ十分獰猛に見えたのはたしかですが。

屋根裏部屋では三人の子供が私の光をあびて遊んでいました。一番年上が六才で、一番小さいのがたぶんニ才くらいでしょう。『ドシン、ドシン』誰かが二階に上がってきました。だれでしょう? ドアが押されて開きました。ブルーインです、大きな毛むくじゃらのブルーイン。庭でまってるのにうんざりして、階段を上る道をみつけたのでした。私はなにもかも見ていました」とお月さまは続けました。

「子供たちは最初は大きなけむくじゃらの動物をみて、びっくりぎょうてんして、三人とも隅の方で縮こまっていました。だけど熊はすぐに子供たちをみつけだし、においをくんくんかぎましたが、なんら危害をくわえるようなことはしません。『これは大きな犬にちがいないよ』子供たちは口々にいい、熊をなではじめました。
熊は床に横たわり、一番小さい子がその背中にのぼりって、その小さな金髪の頭を隠し、熊の毛むくじゃらの体の中に隠れて遊びました。そのとき一番年上のこどもがたいこを持ち出してきて、ぼんぼこ叩きはじめました。熊は後ろ足でたちあがり、踊りはじめました。みているとすっかり楽しくなるような光景でした。
子供たちはみな銃を持ち、熊もひとつもたされました。熊は銃をちゃんともつことができました。子供たちはすばらしい遊び友達をみつけたのです。みんなで行進をはじめました、おいっちに、おいっちに」

「とつぜん誰かがドアのところにやってきて、ドアを開けました。
子供たちの母親が姿をあらわしました。すっかり口もきけないほどびっくりしてしまい、顔からさっと血の気がひき、口は半開きで、目はおそろしい光景を凝視しています。でも一番ちいさな子供が大喜びでお母さんにうなづき、子供らしい口調ではなしかけました。『兵隊ごっこをやってるんだ』、そして熊使いも階段をのぼってきました」




第三十一夜

風がびゅんびゅん冷たくふきました。雲はすごい勢いで流れて行きました。お月さまがその隙間から顔をのぞかせたときです。
こう切り出しました「流れる雲の上の静かな空から地上を見下ろしていました。地上ではいくつもの大きな影が追いかけっこをしていました。私はある監獄を見下ろしていました。
屋根のある馬車が監獄の前にとまります。一人の囚人が移送されることになっていたのです。
私の光は格子窓を通りぬけ壁まで達しました。囚人はかけらで壁になにかを書いていました。でも言葉を書いていたのではありません。心にあふれてくるメロディーを刻んでいたのです。

ドアが開き、囚人はつれていかれ、その目は私の丸い姿にくぎづけでした。まるで彼が自分の顔をみれないさだめで、私も彼の顔をみれないさだめでもあるかのように雲が二人のあいだを流れて行きました。囚人は馬車にのりこみ、そのドアが閉まり、むちの音が鳴り響きました。
馬が深い森へと駆け出して行きました。そこには私の光も届きません。でも私は格子窓をとおして、書かれたものを読み取りました。監獄の壁に書かれた最後のお別れの挨拶を。
言葉では語れず、音楽が雄弁になるときがあるのです。私の光はそのぽつんと書かれたものを照らし出しました。そこに書かれた大部分は私には暗くてよく見えませんでした。囚人がそこに書いたのは死の賛美歌なのでしょうか? 喜びに満ちた歌なのでしょうか? 馬車でつれていかれ死を迎えるのか、愛するものを抱きしめるために急いでいるのでしょうか? 月光は死の運命をもった人間のかいたものを、すべて読むことができるわけではありません」






第三十二夜

「私は子供を愛しています」お月さまはそう話しかけました。
「特にちっちゃい子は。おどけたところがあるじゃないですか。ときどき子供たちがぜんぜん私のことなんて考えてないときに、私はカーテンや窓枠のあいだから部屋をのぞくのです。
着替えているところをみるのは楽しいものです。まず子供服をぬぐとまんまるいちっちゃい肩が、そして腕が姿をあらわします。あるいは、くつしたをぬいで、ふっくらした小さなまっしろい脚が、そしてキスしたくなるような真っ白な小さな足が姿をあらわすのです。もちろん私もそれにキスをします」

「でもお話したいのはこういうことです。今晩、カーテンのかかってないある窓から部屋をのぞいていました。向かいの家にだれも住んでいなかったので、カーテンがいらなかったのです。
わたしはちっちゃい子供の一団を目にしました。みんな家族で、そこには小さな女の子がいました。たった四才ですが、みんなと同じようにお祈りをちゃんとできるのです。お母さんは毎晩、女の子のベッドのそばにすわりこんで、その子がお祈りするのを聞いてあげるのでした。それから女の子にキスをして、寝るまでずっとそばに座っているのです。女の子はいつも目をとじるとすぐ寝てしまうのですが」

「今晩、年上の二人がすこしおいたをしました。一人は長いまっしろな寝巻きをきて、片足でぴょんぴょんはねていました。もう一人は子供服をまわりにちりばめ椅子の上にたって、ギリシャ彫刻みたいだろ、と得意げにいいはなちました。三番目と四番目の子はきれいな下着を箱の中に注意深くしまいました。というのはそれがやらなきゃいけないことだったからです。お母さんは一番小さい子のベッドのそばに腰をおろし、全員に静かにするようにといいました。女の子がお祈りをするからです」

「私はランプ越しに小さな女の子のベッドをのぞき込みました。こざっぱりした白い上布団にもぐりこみ、両手は上品に組まれていて、女の子の小さな顔は真剣そのものでした。女の子はお祈りを声にだしました。でもお母さんがお祈りの途中でやめさせます。『どうしたの』お母さんは聞きました。『日々のパンってところで、いつも聞き取れないけど何かいってるわね。なんて言ってるのかいいなさい』小さい女の子は答えず横になっていて、お母さんの顔をこまったように見ています『日々のパンのあとになんていってるの?』
『おかあさん、怒らないでね。ただ、それにバターもたっぷりって言っただけなの』」

                         「絵のない絵本」 お終いです

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